交響曲第3番 作品89/ジェイムズ・バーンズ

交響曲第3番 作品89/ジェイムズ・バーンズ

曲名:交響曲第3番 作品89
作曲:ジェイムズ・バーンズ

客演指揮:元大阪フィル奏者 久保田善則先生

京都大学吹奏楽団 第55回定期演奏会
2025年12月20日 京都コンサートホールにて演奏

【曲紹介】
 この作品は1990年にワシントン米国空軍軍楽隊とその当時の隊長、アラン・ボーナー大佐の委嘱により、1994年にバーンズが完成させた一曲である。1995年12月に同空軍バンドにより世界初演となる予定であったが、演奏旅行が中止となったため、1996年6月13日、大阪市音楽団による演奏が日本初演と同時に世界初演となった。1993年秋、バーンズの娘、ナタリーがわずか生後半年で夭逝した出来事、この交響曲の完成から3日後、1994年6月、息子であるビリーが生まれた出来事が題材となっており、ナタリーを亡くしたばかりの絶望から未来への希望へと進んでいくような曲調となっている。フルスコア冒頭の彼による楽曲解説より、以下引用する。

 『(前略)私はこの仕事に取り掛かった時、人生において大変困難な時期を目の当たりにしていた。私たちの最初の娘であるナタリーを失った直後であったので、もしもこの曲に表題をつけるならば、「悲劇的」と呼ぶのが妥当であろうか。
 この作品は絶望の深い暗闇から成就と喜びの輝きへと進んでいく。第一楽章は挫折、苦難、絶望、落胆といった、娘を失った後の私的な感情の全てが反映している。スケルツォ(第二楽章)は風刺、ほろ苦い甘味を持ち、其れゆえ世の中のある人々の尊大さや自惚れといった感情に関係している。第三楽章はナタリーが生きている仮の世界のための幻想曲であり、また彼女への別れの挨拶でもある。終曲(第四楽章)は魂の再生、我ら全てのための赦しを象徴している。最終楽章の第二主題は古いルター派の讃美歌『神の子羊』“ I am Jesus’ Little Lamb ” に基づいている。この歌はナタリーの葬儀の時に歌われたものである。歌の最後の詩節は次のようなものである。

 私ほどの幸せが誰にあるでしょうか
 神の子羊である今の私のように
 私の短い生涯が終わったときには
 主に仕える万軍の天使によって
 主の胸に抱かれるのでありましょう
 ああ、主の腕の中の休息

 この交響曲の完成から3日後、1994年の6月25日に息子であるビリーが生まれた。第三楽章がナタリーのためであるならば、終曲は正にビリーのためであり、姉にあたるナタリーの死後彼を授かった我々の喜びでもある。』(James Barnes)

 吹奏楽曲としては極めて大きな編成であるが、曲は伝統的な四楽章の構成であり、第一楽章は自由なソナタ形式、第二楽章はABA形式、第三楽章はABCABCの形式、第四楽章はソナタ形式をとっている。

第一楽章:Tragic
 一楽章は「悲劇的」が相応しい絶望感や怒りを表現した楽章であり、冒頭でTimp.によって提示されるリズムと、Tu.のSoloで登場するメロディーが楽器やテンポを変えて繰り返される。絶望の底に叩き落とすようなTimp.のSoloから始まり、Tu.の重たいフレーズは絶望から這い上がれないバーンズの心情を表しているだろう。中間部や楽章後半では、木管楽器によって叫び声とも受け取れる甲高いメロディーが響き、最後は再び深い絶望へと戻る。一楽章を通して無数の主題が散りばめられ、気が遠くなる程の反復でバーンズの悲劇を感じ取ることができよう。スコア解説はこの楽章の主調をハ短調としているが、ハ短調の主和音である[C/Es/G]が鳴る瞬間はほとんどない。実際にはCを主音とする八音音階 [C-Des-Es-E-Fis-G-A-B]が楽章のほぼ全てを支配している。この限られた音選択が閉塞感を演出していることにもぜひ注目したい。

第二楽章:Scherzo
 Scherzo とはイタリア語で「冗談」を意味し、本来は三拍子であることが多いが、この作品では四分の二拍子で一貫されている。一楽章とは大きく変わり無機質で感情を感じない雰囲気となっており、「皮肉」「風刺」「苦味」といったものを表している。暗い諧謔を含んだ行進曲調の音楽である。

第三楽章:for Natalie
 三楽章の副題は「ナタリーのために」。幼くして亡くなった娘を想った切ない楽章であり、美しい旋律を歌い上げる緩徐楽章である。言い換えるならば俗世の葛藤から離れた、この世ならぬ音楽としてのアダージョと言えよう。他の楽章に比べ進行がわかりやすく、スコア解説にもあるようにABCABC 形式をとる。前二楽章とは対照的に高音域の響きから始まり、Harpによって奏でられる美しい雫のようなフレーズの後、0bのSoloが現れる。この旋律が持つ[G/F/Es]の順次進行は、第一楽章第一主題の反映と考えることもできよう。三度音程と四度音程が多用されるE.Hr.とB.Saxのカデンツの後、変二長調に落ち着き、Hr.Soloに始まるB部分。美しい旋律が二度繰り返されるが、四小節単位でABAC と整理できる。そこにまるでピアノを思わせる規則的なアルペジオで分けられた伴奏と、とても明瞭なオーケストレーションとなっている。その代わり、オーケストレーションの変化や表情豊かに動くオブリガードが後半での盛り上げを担当している。C部分は短調に移り変わり二声のみの Soliとなる。その後は前半の音楽を変形しながら繰り返し、進行する。A部分は短縮され、B部分はクライマックスを築く。ここではCl.とSaxがアルペジオを演奏し、和音の響きの立体感を演出する。それを鎮めるために引き伸ばされた移行部を経てC部分の変口長調のまま楽章は締めくくられる。鎮魂歌のような各楽器のSoloが組み合わさり大きな波となることで、感謝や慈しみ、別れを表現していること、楽章間で主題に共通点を持たせる、いわゆる循環形式をとっていることにもぜひ着目したい。

第四楽章:Finale
 四楽章は Hr.とF.Hr.によって高らかに歌い上げられる第一主題で幕を上げ、溢れんばかりの喜びを表している。この第一主題は第一楽章第一主題の短九度跳躍をオクターブ跳躍へと変形させたものと考えられる。古典的なソナタ形式のもと、序奏の楽想が呼び戻されることに重なり、導かれるように第二主題が登場する。第一主題のハ長調に対し王道のト長調で、第一主題とともに四度音程が軸となっている点で、第三楽章中心主題と結びついていると考えられよう。第二主題では再びソナタ形式で「神の子羊」というルター派の讃美歌に基づく音楽が展開する。この讃美歌はナタリーの葬儀で歌われたもので、八分の六で進んできた音楽が讃美歌の箇所だけ四分の二表示となり差別化されていることに注目したい。楽章後半では Tu.とPicc.のSolo掛け合いがある。この箇所はTu.奏者である父親バーンズと亡きナタリーの声と言われており、バンドで最低音と最高音を担当している二つの楽器の掛け合いが、現世では交わることのない二人の掛け合いを表現するような切なくも繋がりを感じられる場面となっている。

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京都大学吹奏楽団は、応援を目的とする応援団や弦楽器が大きく関わる管弦楽とは違い、演奏会での演奏を主として管楽器主体の音楽を楽しむためのコンサートバンドです。 6月のサマーコンサートと12月の定期演奏会、この2つの演奏会を主軸に活動しています。 演奏会では、吹奏楽オリジナルの曲、クラシック、ポップス、ジャズなど様々なジャンルの曲を団員で選出、演奏しており、各ステージ間でアンサンブルも織り交ぜつつ、観客の皆様に楽しんでもらえることを目標としています

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